dekoponsukeのブログ

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なぜ coachella 2018に X JAPANを観に行ったのか。(行き方ではなく、その動機について)

2018年1月

どうやら私は、X友とのLINEの履歴を見ると、2018年1月14日(日)朝9時「調べれば調べるほどcoachellaに行きたい」と言いだしていた。

YOSHIKI LINE@の履歴を見ると、1月3日(水)に「# JAPAN 世界最大のフェスティバル、コチェラに出演決定。Sat Apr 14 / Sat Apr 21」と連絡がきている。

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大将の号令から10日間、どうやら私は密かに調べていたらしい。 

そして、X友は即レスで「私も」と返してくれた。(さすが)ここでもう行くことは決定したようなものだった。

しかし、フェスというのは、フルのライブではない。しかも直前にはZepp東京で3,000人キャパの、おそらくリハとも言えるライブもある。
なのに、どうしてもこのフェスに行きたいと思ったのか。

もちろん大ファンでだし、いつでもXのライブには参戦したいし、それが人生で一番の楽しみといっても過言ではないんだけど、、、そしていつかYOSHIKIの住むLAに行きたいって思ってはいたんだけど、、、
ただ、この参戦は私のXファンとしての思いというか、哲学(!!)というか、情熱が全て詰まったものだったんです!

 

HISTORY

きっかけ

私がXファンになったのは、1994年10月頃。中学で同じ伝統芸能のクラブ活動の友達Mちゃんに「Jealousy」のテープを貸してもらい、2曲目のSilent Jealousyを聴いた瞬間にもうはまってた。14年間の人生で一番興奮した瞬間だったかな。本当に。

Xっていうバンド名も、YOSHIKIっていう人の名前も、ロックってことも、何にも知らずに聞いたのが、そのテープだったのだけど、そこから一気に私のXファン人生は幕をあけ、それこそ明けても暮れてもXのテープ(当時リリースされているアルバムは3枚、インディーズ時代のVanishing Vision、メジャーデビューアルバムBLUE BLOOD、そしてセカンドアルバムJealousy、そして"ART OF LIFE"という曲のみ)をエンドレスリピート中のエンドレスリピート。カセットテープウオークマンをそのために買ってもらってとにかく聞いてた。ずっとずっとずっと。テープが擦り切れるなんて日常茶飯事レベルで。

5人のビジュアルの中で一番のタイプはHEATHだったので最初はHEATHファンだったんだけど、SHOXXやFool's mateを読むうちにだんだんとYOSHIKIファンになっていったんだよね。

第1次ファン時代

ただ、当時のXは、”宗教っぽい"、”熱狂的"、"ビジュアル系でキモい"、”すぐ倒れる"、"TOSHIの声がすぐ枯れる"、”ヨシキがわがまま”、"HIDEは好き"ととにかくXファンと名乗れば、100%ドン引かれるという状況。ひぃ。
さらには周りにいたXファンも次々と「LUNA SEAのほうがいい」と一人残らずいなくなってしまう始末。(だから未だにLUNA SEAに対しては”友達を取られた”という気持ちが強い・・)

そして、メンバーはほぼ日本にいない、定期的なアルバムリリースはない、ファンになって唯一の全国ツアーは途中で中止(ずっと楽しみにしていた地元名古屋のライブ2daysが1日目の途中で中止)、そしてあれよあれよという間に解散。。。あがー!

雑誌やビデオで繰り返しみて憧れた時代〜メジャーデビュー、公会堂デビュー、武道館進出、そして東京ドーム(しかも3days)を成し遂げていく”快進撃"の時代〜は終わり、今から思えばメンバー同士の不仲や、海外の壁、TOSHIの洗脳など、負の要素が強くなった時代にファンになったんだと思う。

ただ私はそれでもYOSHIKIの「絶対世界で売れる」という目標を信じていたし、絶対世界デビューしてくれる、って信じていたから、英語も勉強したし、私も早く東京に行かなくちゃなんて思っていたりした。世界のヒットチャートを賑わすXが見えていたし、世界ツアーでアリーナ規模で世界を熱狂させるXが見えていた。見れるってもうマジで思ってた。

でも、現実はTOSHIの脱退、解散記者会見、そして解散の1997年12月31日東京ドーム。

それでもまだ信じてた。必ずXは復活して、絶対に世界のスーパースターになれるって。そして1998年4月、大学生になった私は、一人暮らしも始まりコスプレも自由にできるようになったし、まずはhideのライブからだ!と思っていた矢先、まさか大好きな、大好きな、そして解散後のファンの思いを一身に背負ってくれていたhideとのお別れが突然やってきた。

hideちゃんとのお別れ

今でも忘れられないあの日。母から電話があり「hideが死んじゃったよ」と告げられた時点では信じられず、テレビをつけたらテロップが流れてきた。そこから数日のことは覚えていないけど、とにかくファン仲間と連絡を取り合い、気がつけばみんな、築地本願寺にいた。暑い暑い日だった。お焼香の列は隅田川まで伸びていて、順番など回ってこない前に出棺となった。みんなで道路まで走り、見送ったことは覚えてる。あまりに喉が渇いて立ち寄ったマクドナルドでは、飲み物が全て売り切れていた。そこからどうやって帰ったかは覚えていない。ただ、そこで、長い長いXへの反抗期が始まったんだと思う。大好きだったし、夢を乗せてもらっていたから、直視できなかったんだな。その後のメンバーが。

2008年の復活、その後の東京ドームにも参戦したけども、なぜだか好きになれなかった。きっとまだTOSHIは洗脳されていたし、あれはXじゃなかったんだろうなって思う。

ファン回帰

そんな私が、本格的にXファンに戻ったのは、Madison Square Gardenのライブからだと思う。行くことを決めたのは、開催の3日前だったと思う。一応フォローしていたtwitterのタイムラインに、MSGライブのプロモーションビデオが流れてきた。その映像には、1992年のロックフェラーでの”世界進出記者会見"の模様が使われていた。

www.youtube.com

この記者会見の映像を見た瞬間「私はこの人たちの世界進出を、本気で信じて応援していたんだな。私が目を離した瞬間に、ここまで来てくれていたんだな」と涙が止まらなかったんだよね。(いやこれがXが宗教と言われる所以だとしても、知らん!私は泣いた!震えた!)

3日前だけどもう急にフライトの準備をして、飛んでいた。NYに。
TOSHIにはおかえり、そしてYOSHIKIにはおめでとうって本当に思った。
そして知り合いじゃないけど運命共同体のファンの皆さんと再会できて本当に嬉しかった。

第2次ファン期開始〜攻撃再開〜

そして何より、ライブが最高だった。
ここ、MSGで、理想とするX JAPANのパフォーマンスに参戦して、私の第2のXファンライフが再会したのです!

直後のYOSHIKIのツイートも忘れられない。長い間欠席してごめんという思いと、うちのYOSHIKIはやったよ!全世界の人みて!っていう思い。

 

やばい、長くなった。

 

本題

本題に戻ると、、、なぜ、ただのフェスであるCoachella 2018に行くことにしたのか。

Xはいつ終わってもおかしくない。毎年ツアーをするバンドじゃない。次のライブが最後かもしれない、いつもそう思ってる。でもそれだけじゃない。私が見逃した、”快進撃時代のX”を観たかったからなんだと思う。

日本では見れなかった”駆けあがろうとするX JAPAN”を見たかった。

私がリアルに目撃できなかった、1989年のメジャーデビューの頃のような、無我夢中のXを観たかった。

1994年ファンデビュー組なら憧れる"絶対認められたい"というエネルギーを出しまくっているXを観たかった。(私がファンになったときは東京ドームが当たり前だった)

それゆえ、たった60分のライブのために、LAまで(正確にはLAからドライブで3時間以上)の砂漠の果てに行くことにしたのです。そして、LAの空気を吸い、1994年からの思いを噛み締めて、ライブに参戦したのでした!

 

以上、あまりに熱い思いを吐露しすぎて、自分でもしんどい!